1本の桜から

のらなか

2024年04月01日 00:00


おまたせしました。
この2年間、職場仕事に追われていましたが放免。「楽しみにしています」の声をいただき、また、心配をおかけしましたが、晴れ晴れと、ゆるゆると復活します。日常に見つかるちょっといいこと、あげていきます。
朝方、ちょっと出かけたら道沿いの桜1本が満開。この木、自分が幼稚園の頃から見覚えがありました。ちょいと出かけたのは、いつも買っていた職場近くのコーヒー豆屋さんが残念ながら店じまいしてしまい、かわりに家から車で15分ほどの店に出かけたのでした。
その途中もヤマザクラが咲いていたり、土手のタンポポがまばゆかったりで、買い物をして再度でかけていきました。菜の花と桜、原風景が蘇ります。中学生になってカメラを持つようになり、テツ写していました。桜の写真を撮りに来ていた人が「この桜は薄墨桜だってお寺で聞きましたよ」と。それは初耳でした。由緒を知りたくなります。そして、ヤマザクラのみえる高いところへ。車を転回させようと道をそれたところで、見えたのは山道の桜並木。ここは幼稚園で通っていた道です。かつては桜並木で桜祭りも開催されて屋台も居並び賑わっていましたが、老木となって、そんな賑わいも、幼稚園もなくりました。
残った桜の木に惹かれて歩いてみたらなんて近い距離!友だちと一所懸命掘っていた竹林があり、沢の流れる森の香りたっぷり公園にあっという間に行けました。ここへはよくサワガニ捕り。どこにでもいるわけでなく、ポイントがありました。降りるのに勇気がいった沢も今みれば楽々なところ。戻ってきてふと景色を見れば、谷の切れ間に中央線。遠景に庄内川やヤマザクラの咲く山も。足元にはタンポポ。もともとなかった道ができて開けたのでした。これは!と思ってしばし電車を待ちました。写真を撮っているうちにしばらくすると、近所の家からおばあさんがでてきました。不審者に思われないよう?あいさつすると、この界隈のことを話してくくれました。嫁入りしてずっと住んでいるそうで、今や主になったと。私も興味津々で話が弾みました。このあたり、もともとは昭和初期に名古屋の別荘・邸宅開発的に開かれたところですが、不思議にみえていた建物が旅館だったことや、竹林の所有者や、このあたりに住んでいた何人もの同級生の消息もわかりました。「今は懐メロも知らない曲ばかりになって、水戸黄門しか観るテレビがない」といっていたおばあちゃん。この町の歴史をいろいろ伺えそうです。「まーじきタラの芽がでるで採りにいりゃー」と。喜んで!
桜の木、夕方に再訪してきました。




関連記事